【人として当たり前?】挨拶が苦手でもいいと思う話

心の話

私は挨拶が苦手です。
たぶん苦手だと自覚したのは小学生の頃。
学校で教室に入るとき同級生の子たちが元気よく「おはよー!」と挨拶する中私は「おはよ〜」と小さく挨拶していました。

きっかけは些細なこと。ある朝、友達が私に向かって挨拶をしていると思って元気よく返したら実は私の後ろにいた子に挨拶をしていた!ということがあった。それが強烈に恥ずかしくてそれから挨拶というものが苦手になってしまいました。
親戚からも「あいつは挨拶もおどおどするし話す時目も合わせない駄目なヤツ」と言われていました。

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挨拶が苦手って具体的にどんな感じ?

まずどこに行っても知り合いに会いたくないと思います。できれば挨拶をしたくないから。
会社や保育園の送り迎えなどどうしても人に会う環境では相手が見えた瞬間に言葉がすぐ出てきません。「あっ、おはようございます」という感じで即座に反応出来ないから「あっ」と間が入ってしまいます。
もしくは脊髄反射的に会釈してすませてしまいます。

人の顔を見た時にすぐ言葉が出てこないのです

これは慣れている人かどうかでちょっと変わります。
私の場合、家族や、仲良い友達には難なく挨拶ができます
これは挨拶をしても無視されないだろうとか何かを思われたりする心配がないからです。

結局のところ色々考えすぎてしまうコミュ障だから仲良くない知り合いにうまく挨拶できないのですね。

挨拶は人としての基本?

ネットで「挨拶 苦手」「挨拶 できない」と検索すると大体「挨拶は人としてできて当たり前」「挨拶できない人は嫌われる」など。の回答が出てきます。

でも人にはそれぞれ得意なこと、不得意なことがあって当然ですよね。

運動が得意だけど、細かい作業は苦手な人。
絵を描くのが得意だけど、数学が苦手な人。
計算は得意だけど、作文は苦手な人。

それが挨拶になると突然「できて当たり前」と言われてしまいます。

確かに気持ちよく挨拶をできた方が良いです。
きちんとおはようやこんにちはを言える人は印象も良いし素敵であることは確かです。

それでも人に会ったときすぐ声が出ないという状況は好き嫌いで挨拶をしないのではなく、苦手だからしようと思ってもうまく出来ないのです。

挨拶にまつわる嫌な思い出

高校生の時、私は運動部に所属していました。先輩後輩の上下関係が厳しく、受験のため部活を引退した3年生にも見かけたら遠くからでも大きな声で挨拶をしなくてはいけませんでした。
私はこれが本当に嫌で…先輩を見かけても気がついていないフリ、道を変える、挨拶するときもおずおずと声をかけていました。
そんなことが続いたある日、同学年の部長に呼び出されました。勘のいい方はお察しだと思いますが内容は「先輩からちゃんと挨拶されないって報告を受けたんだけど?ちゃんとして?」とキツめに叱られました。
その場は部長の子に謝って直しますと言っておしまいでしたが未だに「何で部長から叱ってくるんだろ…?挨拶したいなら先輩から挨拶しても良くない…?」というモヤモヤとした気持ちが残っています。
年功序列のしきたりと言えばそれまでですが、必ず後輩から挨拶をするなんてルールがそもそも謎です。なるべく挨拶しないように回避していた私もかなり悪かったのですが、先輩も気がついておきながら私に挨拶をしなかったのなら「挨拶をしなかった」という事実は等しいはず…だと私は思っています。

挨拶が苦手な人もいて良いんじゃない?

挨拶がみんなできて当然だと思っているから、いざ挨拶されなかった時不快に感じるのではないでしょうか。
例えば…

ラーメン屋さんに入っても、いらっしゃいませの代わりに会釈だった。

こんな時いらっしゃいませと言われるのが当然だと思っているから「いらっしゃいませも言わないなんてなんて店だ」と感じると思います。

けれどもし「店主はいらっしゃいませの挨拶が苦手です。」と張り紙が貼ってあったら「あ〜ここの店主はは挨拶そんに得意じゃないのか、ラーメンが美味しければ良いかな」って思えませんか?

少しだけ他の人の苦手なことに寛容になればさして大きな問題でもないと思います。

絵を描く、運動、料理、掃除、計算、暗記…色々な得意不得意の中の1つとして「挨拶」を入れてあげても良いのではないでしょうか?

「あの人は挨拶が苦手だけどラーメン作るのは上手」で済ませられる寛容な心持ちでいられたらもう少し暮らしやすくなりそうです。

私が実践しているなんとか挨拶をする方法

とはいえ、なかなか世の中そんなすぐに寛容になってくれるわけじゃありませんよね。
しばらくは 挨拶出来ない=人でなし という風潮は抜けないでしょう。
なので私は今はきちんと挨拶をできる人間を装って生きています。あんなに挨拶が苦手なのでどうやってきちんとできているかポイントをまとめました。

1、挨拶の時だけ自分の意思を捨てる
2、挨拶しなかった時のマイナス印象によるダメージを想像する
3、ゲーム感覚で先手必勝と考える

1、挨拶の時だけ自分の意思を捨てる

挨拶する直前に自分の人格を捨てます。
ものすごく明るく挨拶できる知り合いを想像して、その人になりきって明るく挨拶することで乗り切ります。
この方法のメリットは人に明るい印象を与えることができること。
デメリットは相手が明るく快活な人の場合話しかけられ会話をしなくてはいけなくなることです。

2、挨拶しなかった時のマイナス印象によるダメージを想像する

これは自分の生活に関わってくると考えることで 挨拶するメリット>挨拶しないデメリット という理屈で自分を納得させ苦手だけど無理矢理挨拶する方法です。
保育園でママ友に挨拶しないと子供が嫌な目に合うかも…
職場で挨拶しないと人間関係がうまくいかなくて仕事が出来ないかも…
ネガティブな思考によって自分に眠っていた挨拶する能力を引き出します。

3、ゲーム感覚で先手必勝と考える

やられる前にやられろ!という意気で知り合いを見かけたら即座に挨拶します。
ゲーム感覚なら失敗(相手が気づかなかったり)してももう一回挑戦(挨拶)すればいいか。と思えてきます。
挨拶はそんなに難しいものではないという感覚が大事です。

まとめ

なんだかんだ私も大人なので外ではきちんと挨拶してます。
けど苦手という意識は未だにありますし、挨拶しないで済むならそうしたいというのが正直な気持ちです。

この記事を書いた理由は少しでも挨拶が苦手な人もいる。挨拶することは人として当たり前という「常識」に縛られて「自分は最低限のことも出来ないのか…」と苦しんでいる人に向けて私もだよ!とメッセージを残せたら良いと思ったからです。

とても偏った意見であることは重々承知していますが、挨拶も得意不得意のうちの1つであると少しでも多くの人が知ってくれることでちょっとくらいうまく挨拶出来なくても受け流せるような世の中になってくれたら少し嬉しいです。

挨拶が苦手ですマークとかあったら良いな…笑